ターミナルケア指導者資格の意義と多職種連携におけるキーパーソンの役割— 終末期ケアの現場を導くプロフェッショナル —
ターミナルケア指導者資格の意義と多職種連携におけるキーパーソンの役割— 終末期ケアの現場を導くプロフェッショナル —

「あなたなら、どうしますか?」

ある80代の男性が肺炎で入院しました。

認知症は中等度まで進行し、「家に帰りたい」という言葉は繰り返すものの、病状や治療内容を十分に理解しているとは言えません。医師は肺炎の再発予防のため胃ろうを提案します。しかし本人は説明を聞いても返答が一定せず、家族も「本人がどう思っているのか分からない」と悩みます。

このような場面で、「本人が決められないから家族が決める」というだけでは、現代の介護や医療は十分とは考えません。

では、本人が判断できないとき、その人の人生は誰が決めるのでしょうか。

この問いから生まれた考え方こそが、「意思決定支援(Supported Decision Making)」です。

これは近年の介護・医療・福祉の世界で最も重要な概念の一つとなっています。


自己決定という理想が抱えていた限界

戦後日本の福祉は、「措置の時代」から「利用者本位の時代」へと大きく転換しました。

介護保険制度が導入された2000年以降、高齢者は行政からサービスを与えられる存在ではなく、自らサービスを選択する主体として位置づけられるようになります。

これが「自己決定」の思想です。

自分の人生は自分で決める。

どこで暮らすか。

どんな介護を受けるか。

どんな医療を希望するか。

個人の尊厳を守るためには、この考え方は極めて重要でした。

しかし、制度が動き始めると、一つの現実が浮かび上がります。

それは、「誰もが最後まで自分で決められるわけではない」という事実です。

認知症。

脳卒中。

高次脳機能障害。

せん妄。

意識障害。

終末期。

人生の最終段階では、多くの人が十分な判断能力を失う可能性があります。

つまり、「自己決定」という考え方は、「判断できる人」を前提としていたのです。

ここに、現代福祉最大のジレンマが生まれました。


認知症が社会に突き付けた問い

認知症は、記憶を失う病気ではありません。

むしろ最も大きな問題は、「意思決定能力」が徐々に変化していくことです。

今日できた判断が、明日もできるとは限りません。

朝は理解できても夕方には難しくなることもあります。

一つの契約は理解できても、複雑なお金の管理は難しいかもしれません。

つまり、能力は「ある・ない」の二択ではありません。

グラデーションなのです。

ところが従来の制度は、

「判断できる」

「判断できない」

という二分法で考えられていました。

成年後見制度もその典型です。

本人を守るために後見人が代理で契約を行います。

もちろん必要な制度ですが、一度後見が開始されると、本人が再び自分で決められるようになっても、制度上は柔軟に対応しにくいという課題が指摘されています。

つまり、

「権利を守る制度が、本人の自己決定を小さくしてしまう」

という逆説が起きることがあるのです。


意思決定支援とは「代わりに決めること」ではない

ここで登場したのが意思決定支援です。

この考え方は、本人の代わりに決めることではありません。

むしろ逆です。

本人が可能な限り、自分で決められるよう支援することを意味します。

例えば、

説明を一度ではなく何度か行う。

専門用語を使わず説明する。

写真を見せる。

実際に施設を見学する。

信頼している家族と一緒に話す。

体調の良い時間帯に相談する。

選択肢を整理する。

このように環境を整えることで、人は本来持っている意思を表現できる場合があります。

つまり、

意思決定能力だけを見るのではなく、

「意思を表現できる環境」を整える。

これが意思決定支援なのです。


「決められるか」ではなく、「その人を知る」

意思決定支援には、もう一つ重要な考え方があります。

それは、

「今の言葉だけが本人の意思ではない」

ということです。

認知症が進行すると、

「家に帰りたい」

「嫌だ」

という短い言葉しか出なくなる場合があります。

しかし、その背景には何十年という人生があります。

どんな仕事をしてきたのか。

何を大切にしてきたのか。

どんな家族関係だったのか。

宗教観。

人生観。

趣味。

生活習慣。

好きだった音楽。

嫌いだった食べ物。

人生最後の選択は、これらすべての延長線上にあります。

だから現代の介護では、

生活歴(ライフヒストリー)

ナラティブ(人生の物語)

価値観

人生の信念

を知ることが重要視されています。

本人が言葉で説明できなくなっても、

「この人ならどう考えるだろう」

という視点を持つことが、その人らしい支援につながります。


ACP(人生会議)が注目される理由

近年、「人生会議(ACP)」という言葉が広まりました。

ACPとは、人生の最終段階について、本人・家族・医療者が元気なうちから話し合う取り組みです。

これは終末期だけの話ではありません。

意思決定支援を考えると、極めて合理的な方法です。

人は判断能力が十分あるうちに、自分の価値観を家族へ伝えられます。

「延命治療は望まない。」

「最後まで自宅にいたい。」

「痛みだけは取り除いてほしい。」

こうした思いを共有しておけば、判断能力が低下した後も、家族や医療者は本人の価値観を基準に考えることができます。

つまりACPとは、「未来の意思決定支援」を準備する取り組みでもあるのです。


意思決定支援は「チーム」で行う時代へ

一人の専門職だけでは、その人らしさを理解することはできません。

医師は病気を知っています。

看護師は生活を知っています。

介護職は日常を知っています。

ケアマネジャーは家族関係を知っています。

リハビリ職は身体能力を知っています。

心理職は心の動きを知っています。

それぞれが持つ情報を持ち寄ることで、その人の人生像が少しずつ見えてきます。

だからこそ、現代の終末期ケアでは多職種連携が欠かせません。

重要なのは、「専門職同士が話し合うこと」ではなく、「本人の価値観を共有すること」です。

その中心にいるのは、病気ではなく、一人の人生を歩んできた「その人自身」です。


AI時代だからこそ、人間にしかできない支援がある

AIは診断を支援し、医療データを解析し、ケアプランの作成を補助するようになりました。

しかし、「その人らしさ」を理解することは、数字だけではできません。

例えば、

「毎朝、仏壇に手を合わせることを欠かさなかった。」

「家族には迷惑をかけたくないと言い続けていた。」

「最後まで庭の花を眺めたいと話していた。」

こうした人生の文脈は、単なるデータではありません。

人の記憶、対話、表情、沈黙、関係性の中に存在しています。

意思決定支援とは、この人生の文脈を読み解く営みでもあります。

AIが発達するほど、人間にしかできない「共感」「対話」「関係づくり」の価値は、むしろ高まっていくでしょう。


「その人らしさ」を支えることが、現代の個人主義である

かつて個人主義は、「自分のことは自分で決める」という思想として広がりました。

しかし超高齢社会となった現在、その考え方だけでは十分ではありません。

誰もが老い、病を経験し、いつかは自分だけでは決められない時期を迎える可能性があります。

だから現代の個人主義は、新しい段階へ進み始めています。

それは、「一人で決める自由」を守ることではなく、「その人らしい意思が最後まで尊重される社会」をつくることです。

意思決定支援とは、判断能力が低下した人に代わって人生を決める技術ではありません。人生の最終段階においても、その人が歩んできた歴史、価値観、人間関係を丁寧に受け止め、「その人ならどう生きたいと願うだろうか」を多職種と家族がともに考え続ける営みです。

この思想は、自己決定を否定するものではありません。むしろ自己決定をさらに深く、人間らしいものへと発展させた考え方です。

これからの超高齢社会において、意思決定支援は医療や介護の技術であるだけでなく、「人間の尊厳とは何か」を問い続ける新しい倫理であり、個人主義が成熟した先に到達した一つの到達点なのでしょう。