2000年、日本の介護は歴史的な転換点を迎えました。
「介護は家族だけが担うものではない。」
この理念のもとに誕生した介護保険制度は、多くの人に希望を与えました。
それまで「嫁が介護するのが当たり前」とされてきた時代から、「社会全体で高齢者を支える社会」への転換だったからです。
制度開始から25年以上。
介護サービスは飛躍的に充実しました。
訪問介護、デイサービス、特別養護老人ホーム、ケアマネジャー……。
今では介護保険を利用したことがない人の方が少ないほど、日本社会に定着しています。
ところが、この制度は成功した一方で、いくつもの「思いがけない副作用」も生み出しました。
制度設計の段階では予想されていなかった”逆説”です。
今回は、その代表的な4つを見ていきましょう。
パラドックス① 「介護の社会化」が「家族介護」を復活させた
介護保険制度の最大の目的は、家族だけが介護を背負う時代を終わらせることでした。
しかし現実を見ると、介護の中心は今も家族です。
しかも、その多くは女性です。
訪問介護が来るのは一日数十分。
デイサービスも日中だけ。
しかし介護は24時間続きます。
夜中に何度も起きる。
転倒しないか見守る。
病院へ付き添う。
認知症の不安を受け止める。
こうした「制度の外側」にある介護は、今も家族が担っています。
つまり、
介護サービスは社会化された。
しかし、
介護責任までは社会化されなかった。
これが「再家族化」と呼ばれる現象です。
パラドックス② 「自己決定」を尊重するほど、決められなくなる
介護保険制度は、
「利用者本人がサービスを選ぶ」
という自己決定を大切にしています。
これは個人の尊厳を守る上で非常に重要な考え方です。
しかし現場では難しい場面があります。
認知症です。
例えば、
「家に帰る。」
と言い続ける認知症の人。
しかし、その家は何十年も前に取り壊されています。
本人の希望を尊重するべきでしょうか。
それとも、安全を優先するべきでしょうか。
食事を拒否する。
薬を飲まない。
入浴を嫌がる。
そのすべてを「本人の意思」として受け入れることはできません。
だから最近では、
「自己決定」
ではなく、
「意思決定支援」
という考え方が重視されています。
本人が話せなくなっても、
これまでどんな人生を歩んできたか。
何を大切にしてきたか。
どんな表情を見せるか。
そうした情報から、
「この人ならどう望むだろう」
を皆で考えるのです。
自己決定を守る方法そのものが進化していると言えるでしょう。
パラドックス③ 仕事を守る制度が、仕事を辞めさせてしまう
介護保険制度ができても、
毎年約10万人前後が介護を理由に離職しています。
仕事と介護の両立。
言葉では簡単ですが、現実はそうではありません。
介護は終わりが見えません。
何年続くか分からない。
突然悪化する。
夜中に呼び出される。
こうした状況では、仕事との両立は想像以上に難しくなります。
企業でも最近は
「ビジネスケアラー」
という言葉が使われ始めました。
これは介護をしながら働く人のことです。
介護離職は個人だけの問題ではありません。
働き盛りの人材を失うことは、日本経済全体にも大きな損失を与えます。
介護は、家族問題から経営問題へと変わり始めているのです。
パラドックス④ 自由を求めた社会が孤独を生んだ
現代では、
「一人で暮らしたい。」
という選択は尊重されます。
これは個人主義がもたらした大きな成果です。
しかしその裏側で、
孤独死は増え続けています。
誰にも迷惑をかけたくない。
誰にも干渉されたくない。
その結果、
亡くなってから数日、あるいは数週間発見されない。
そんなケースも珍しくありません。
本来、
「一人で暮らす」
ことと、
「社会から孤立する」
ことは違います。
ところが現代では、この二つが混同されがちです。
自由は孤立を意味しません。
本当に必要なのは、
必要な時だけ誰かにつながれる社会です。
介護の未来は「支える」から「つながる」へ
こうした矛盾を解決するため、日本では地域包括ケアシステムが進められています。
ここで重要なのは、
昔の地域共同体へ戻ろうとしているわけではないことです。
昔は、
地域に合わせることが優先されました。
しかし現在目指しているのは、
個人を尊重したまま、孤立だけは防ぐ社会です。
医療。
介護。
福祉。
地域住民。
ボランティア。
行政。
企業。
それぞれがゆるやかにつながることで、一人の人生を支えていく。
これが新しい地域包括ケアの姿です。
「自立」とは、一人で生きることではない
介護の世界では、「自立」という言葉がよく使われます。
しかし、本当の自立とは何でしょうか。
昔は、
「人に頼らないこと」
が自立だと考えられていました。
けれども超高齢社会では違います。
人は誰でも老います。
誰でも支えが必要になります。
だからこそ、
必要なときに助けを求められること。
支えられることを受け入れられること。
これもまた、自立なのです。
介護保険制度が25年をかけて私たちに教えてくれたことは、「個人で生きる」と「一人で抱え込む」は同じではないという事実でした。
これからの介護に求められるのは、個人の尊厳を守りながら、人と人とのつながりを取り戻すことです。制度の充実だけでは十分ではありません。社会全体が「支え合うことは依存ではなく、成熟した社会の姿である」という価値観を共有するとき、日本の介護は新たな段階へと進んでいくでしょう。
